• 掛け軸 親鸞聖人御絵傳◆篠田清澄(真作・新品)
掛け軸 親鸞聖人御絵傳◆篠田清澄
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親鸞聖人御絵伝 解説



第一図 松若丸青蓮院へ行く

9才で叡山に登って仏道に入ることを決めた松若丸(親鸞聖人幼名)が養和元年春、伯父日野範綱に伴われ慈鎮和尚のいる青蓮院に到着したところ。

図はすでに松若丸は入室のあとで、門前では松若丸を送ってきた供人が一休みしているところ。

また、門を入ったところでは玄関前で範綱の家来や附人達に寺侍が挨拶をしている様子をかいている。


第二図 得度

左の図は第一図と同時図で、青蓮院客殿で剃髪前の稚児姿の松若丸と範綱が慈鎮和尚に対面しているところ。

右側の図は松若丸が得度の儀式を受けているところ、後ろに控えているのが範綱、机を前に座っているのが慈鎮和尚である。

この時、範宴少納言公と名を改め、以後二十年間の叡山での厳しい修業が始まった。


第三図 法然上人との出会い

しかし、この長い修行は結実しなかった。

新たな道を求めて吉水の法然を訪ねたのである。

門を入って、先に立って先頭にいる人が親鸞聖人である。

つづいて入室、奥に座しておられるのが法然上人、それに対座している人が親鸞聖人である。

第四図 六角堂夢告

建仁3年4月5日六角堂の本尊、聖徳太子の本地救世観音より夢告を受けた。

それは行者宿報等4句の偈であった。

この偈によってやがて在家者の仏道の在り方を示されたのであった。

左図は六角堂の本尊に合掌している姿が親鸞聖人である。

右側は先に立って東方の岳山中の人々にこの夢告を宣説しておられるのが親鸞聖人である。


第五図 蓮位房の夢想

この話は親鸞聖人晩年84才の時のことである。

関東より随従してきた蓮位が夢を見た。

その内容は聖徳太子が親鸞聖人を礼拝しておられるというものであった。

伏しているのが蓮位で、その夢の様子をかきあげたもので立っておられるのが親鸞聖人、対座して合掌しておられるのが聖徳太子である。


第六図 「選択集」を書写

親鸞聖人(当時綽空と名乗っている)33才、師の法然上人73才の元久二年(1205年)師より選択集を給わった。

つづいて師の真影をも給わった。

右側の図は選択集をもって手にしておられるのが法然上人、対座して手にそれを受けとらんとされているのが親鸞聖人である。

左側は真影に銘を記しておられる法然上人に室内で対座しているのが親鸞聖人である。


第七図 信行両座

吉水の禅房において或る時、他力信心について師の法然は多くの門弟に問うところとなった。

それは信不退、行不退のいずれか、自らの信の在り方を座に示すようにとのことであった。

この時親鸞は師法然と同じく信の座に就いた。

図中、門の右側では両座分判の内談中で、中央に法然、その左に法然と対座しているのが親鸞聖人である。

門の左側の図は分判の当日門弟の大半は行座に就き、法然、親鸞等数名が信の座に就いているところ。

信座で奥に座しておられるのが法然上人、筆をとっているのが親鸞聖人、馳込んで縁先にいるのが熊谷入道直実(法力)である。

第八図 信心諍論

これも吉水の禅房で或る時のこと、法然上人の念仏と親鸞聖人の念仏と同異について門弟の間で問題となった。

その時師の法然は、「仏より賜りたる信心なれば皆同じである」との答えを出している。

図中、中央に正座しているのが法然上人、左側の前に座すのが親鸞聖人、後方六人は門弟である。

第九図 入西房の鑑察

これは仁治3年9月(1243年)の頃のことという。

聖人70才京都西洞院五条の禅房での出来事であった。

弟子の入西が聖人の真影を書写したいことを察せられてこれを許し、画師定禅にこれをかかせられた。

右側の図中央におられるのが親鸞聖人、縁側右に座しているのは入西房、左は蓮位である。

左側の図中央に親鸞聖人、筆をとって対座しているのが定禅、左端三人中一人は入西である。

第十図 念仏停止

承元元年(1207年)二月法然の創めた専修念仏は停止を命ぜられ、ついに法然以下門弟死罪、流罪の刑に処せられた。

親鸞はその時35才、越後の国府へ遠流となった。

還俗せられて藤井善信と名乗ることとなった。

図は内裏の門を中心に念仏停止の宣下の様子を内外にわたってかかれている。

右上端に内裏番所、武者は衣を着た念仏者を取り締まっているところ。

第十一図 罪科の詮議

念仏停止の宣下により、次の段階は罪人捕縛、罪の決定を急ぐこととなり、朝廷では公卿を集めて詮議が進められる。

図は朝廷での詮議の様子、六人の黒装束の人達は六衛府の代表役人である。

第十二図 法然上人、土佐へ出発

七十五才の法然上人が配所へ輿にて出発されんとしているところの図で室中に立っておられるのが法然上人である。

多くの供衆や武人に警護せられての出発である。

第十三図 親鸞の流罪

吉水の草庵をあとに師と別れて、親鸞も遠流地越後国国府にむけて出立されんとしているとき。

右の図は輿に召されたところであり、門の左側は出立の図である。

第十四図 稲田の草庵

越後で五年の流刑満了、法然の入滅を知りしばらく越後にとどまった。

建保二年(1214年)聖人42才の時、室恵信尼や家族をともなって越後をあとにし、関東の地に向かった。

図中右半分は越後を出発する親鸞聖人、海岸は越後国府に近き居多浜をえがいている。

左は東国各地経廻の後稲田に居を占めたが、その頃多くの門弟がこの稲田の草庵を訪れている。

その様子を記し、中央に座して説法しておられるのが親鸞聖人である。

第十五図 弁円の帰依

この話は稲田での出来事とされている。

山伏弁円が、親鸞聖人のいる稲田(茨城県笠間市)の草庵に多くの門弟が集まるのをねたんでいた。

或る時、板敷山で待伏せして聖人を害せんとしたが果たせず、ついに草庵を訪れて帰依するというものである。

図の右半分は板敷山にて弁円一味が待伏せしているところ。

左側は門を入ってすぐの場面は弁円とこれを迎える親鸞聖人(杖をついている人)。

つづいて縁先に上って聖人の前で前否を悔る弁円とそれを室中にあって暖かく迎える親鸞聖人をえがいている。

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