法然上人が、浄土宗を開くと、多くの迫害を受けます。
そしてついに法然上人は、土佐(高知県)へ流罪になります。
(実際には事前に減刑されて、讃岐<香川県>に流罪)
ときに法然上人は、75歳の高齢です。
歎き悲しんで群集する信者たちを慰めて法然上人は申します。
「このたびは、思いもよらぬことで年来の本意が達せられます。
それは都から遠く離れた僻地の人びとに教えが説けるということで、
このうえない朝恩(朝廷・天皇の恩)と存じます。
歎かなくてよろしい…」と。
これは皮肉ではありません。
法然上人は、こうした悲劇は思想界の先覚者である限り、いつの時代でも遭わねばならぬことを知っていたのです。
またどのような逆境におかれても、逆境の持つ意味を見つめ、逆境を好ましい価値に転換するという仏の願いに目覚めていたからこそこのようにおっしゃたのです。
それは、どの経典にも流れる「釈尊」の思想です。
諸法実相の「諸法」は大乗仏教の大切な思想で、このさとりの境地はだれにもわかるものではありません。
「五千起去」のあと釈尊は座が静まるのを待って「さあ、話そう」と言葉柔らかに「自分をはじめ多くの仏たちがこの世に出られた最も大事な理由は、諸法実相を人びとに知らせ、その真理の内容を開き(開)、示し(示)、さとらせ(悟)
仏道に入らしめる(入)ためである」旨を明らかに示されるのです。
浄土教では極楽に往って生まれ(往生)て成仏するので、この世で成仏することはありません。
この世で成仏はできないが、しかしこの世で救われるのです。
この世にあって極楽に往って必ず生れることができるという信が救いなのです。
法然上人が八十歳で亡くなる臨終の床で、浄土往生の要義を一枚の紙に認めたのが有名な「一枚起請文」で字数わずか273文字。
現代の四百字詰め原稿用紙の半ページ少々に収まる短文ですが、
法然上人の説く浄土思想の真髄(エキス)です。
さらに真髄の中の真髄は、
「ただ往生極楽のためには 南無阿弥陀仏と申して うたがいなく 往生するぞとおもひとりて 申すほかには 別の仔細候わず」の57文字に尽きます。
「極楽往生のためには、ただ口に(南無阿弥陀仏)とみ名を称えるなら、疑いなく極楽往生ができるのだと信じさせていただいて、念仏申す以外、他に何もない」という一文に浄土思想の真髄があります。
浄土教にあって阿弥陀仏(如来)の名を称える称名の教えを開いたのは、中国の善導で、日本の法然上人も親鸞聖人もその系譜にあります。
浄土教にあっては「阿弥陀仏」の仏名に釈尊の教えのすべてが摂取されるのです。
最後に八木重吉(1898~1927)の詩と法句経のなかの一節をご紹介いたします。
花は
なぜ美しいか
ひとすじの気持ちで
咲いているからだ
八木重吉
まこと怨みごころは
いかなるすべをもつとも
怨みを懐くその日まで
ひとの世にはやみがたし
うらみなさによりてのみ
うらみはついに消ゆるべし
こは かわらざる真理なり
法句経
怨みをいだく人々の中に
たのしく 怨みなく住まんかな
怨みごころの人々の中に
つゆ 怨みなく住まんかな
法句経