無とは、有無・是非・善悪といった相対的価値以前の根源的なもので
有無・是非・善悪といった相対的な思慮分別を超越した絶対的なこころ
なのです。
無とは、禅のこころであり、換言すると「仏心」です。
仏心は、善悪のいずれでもない清浄心です。
善でも悪でもないもので「無記」と表記します。
また、清浄は何ものにも捉われない特性を持つから、無記にも捉われません。
何かに捉われたら、清浄ではなくなり、「汚れ」となってしまいます。
ゆえに仏性は「善にもあらず、悪にもあらず、また無記にもあらず」
との絶対平等の人間の本性です。
いわば、清浄の仏性というのは「純白をさらに漂白した清浄」としか
いえないのです。
この清浄の仏性を禅門では「無」といいます。
「無」とは無分別のこころです。
この「無」を本当に体得し得たなら絶対肯定の世界が広がります。
蘇東坡(そとうば)(中国の詩人)はここのところを
「無一物中 無尽蔵 有花有月有楼台」と表現しています。
≪至道無難禅師 筆≫