仏教では、貪瞋痴(とんじんち)の三毒が人間の一切の悪業・迷いの根源であると説いています。
事実そのとおりです。
この貪瞋痴(とんじんち)の三毒は、いずれも抜きがたいものですが、わけても退治しがたいのは、ガツガツとして
飽くことを知らぬ貪(むさぼ)りの欲です。
そして、この貪欲に引きずり、ひんまわされて、迷っていいる境涯を、餓鬼道(がきどう)というのです。
三毒を離脱して迷いの境涯から悟りの境涯へ入るべきことを仏教は説いており、中でも貪欲の退治を色々な角度
から説いています。
貪欲退治、餓鬼道離脱のために何より大切な心構えだとして強調しているのが、この「知足(ちそく)」の二字、「足
るを知る」ということです。
「遺教経(いきょうきょう)」という経典には、
若し諸々の苦悩を脱せんと欲せば、まさに知足を観ずべし。
知足の法は即ち、富楽安穏(ふらくあんのん)の処なり。
知足の人は地上に臥すといえども、なお安楽なりとなす。
不知足の者は、天堂に処(お)るといえどもまだ意にかなわず。
不知足の者は、富むといえども、しかも貧しく、知足の人は貧しといえども、しかも富めり、と説かれており、
「法句経(ほっくぎょう)」には「知足は第一の富なり」と説かれています。
老荘の教えもまた知足を力説していることは「老子道徳経」の第三十三章に「足るを知るものは富む」とあり、仏
教や老荘の思想を摂取した「菜根譚(さいこんたん)」には
人は只だ一念貪私(とんし)なれば・・・智を塞(ふさ)いで昏と為し・・・潔を染めて汚と為し、一生の人品を壊了(え
りょう)す。故に古人は貪らざるを以て宝と為す。
すべて眼前に来る事、足るを知る者には仙境。
足るを知らざる者には凡境。と説かれています。
若い方には、これらの「足るを知って貪ることなかれ」という教えは消極的すぎて抵抗を感ずるかもしれません。
知足ばかりを強調したのでは、人間の向上も文化の発達もなくなるのではないか…という疑問も生ずるかもしれ
ません。
しかし、知足はたしかに「富楽安穏」の法門なのです。 参考文献「禅語の茶掛 一行物」 芳賀幸四郎著
掛け軸 鉢中の天「安分知足(あんぶんちそく)」◆穐月明(非売品)