人は信じることによって激流を渡り、
怠ることなく、勤めることによって(迷いの)海を渡る。
努力して苦しみを克服し、
智慧によって(心は)まったく清らかになる。
出典:「スッタニパータ」184
これは、仏法に帰依して仏道修行を完遂するための心がまえを述べたことばである。
仏法においては、まず信ずる心を起こさなければならない。そのうえで怠ることなく努力し、修行を積んで、煩悩を克服していくのである。
こうして克己ということを経験的に学んでいくことにより、智慧がそなわり、自我への執着が超えられる。そして精神はかぎりなく純粋に、透明になっていくのである。
このような過程の全体をつらぬいているのが、「信」にほかならない。
強く信ずる心は、人をして激流をもわたらせるという。激流という表現により、仏道修行のきびしさをものがったているが、これは考えてみれば、修行の局面ばかりでなく、人生のさまざまな場面にも当てはめていえるのではないか…。
ひどい困難に遭遇し、克服するのが不可能と思われるようなことにも強い信念で打ち勝っていく人がある。山のような苦難も、ねばり強く努力を継続していくことで、ひとつひとつ解決されていき、最後にはさしもの大きな山もどっと崩れて、太陽が顔を出す。苦しみは消え、その人は純粋な心をもった新しい人間としてよみがえる。
ときどきみかけるそんな人を支えているのは、「この苦難はきっと克服できる」という「信」である。信ずることがはじめにあり、それを最後までつらぬいていくことが、新しい生き生きとした人間をつくり出したのだ。
人間の力の根源は信ずることであり、それを体得していくことはひとつの大きな智慧である。現代人は信ずることより疑うことを多く教えられているが、信ずることの偉大さをあらためて知るべきではないだろうか。
中村 元「仏教のことば 生きる智慧」より