今日なすべきことを熱心になす

過去を追わざれ、未来を願わざれ。

およそ過ぎ去ったものは、

すでに捨てられたのである。

また、未来はいまだ到達していない。

そして、現在のことがらを動ずることなく

了知した人は、その境地を増大せしめよ。

ただ、今日まさになすべきことを熱心になせ。

出典:「マッジマニカーヤ」

 「諸悪莫作(しょあくまくさ)衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)自浄其意(じじょうごい)是諸仏教(ぜしょぶっきょう)すべて悪しきことをなさず、善きことを行い、みずからの心を清めること、これがもろもろの仏の教えである。」

 在家の仏教徒にとっては特に重要な経典ともいえる「ダンマパダ」にみえることばである。実践に関してはブッダの説いたあらゆる教えは、これに集約されるといわれている。

 善いことをし、悪いことはしない…。

 あたりまえすぎる教えではあるが、これこそが仏、つまり最高の人格完成者になるための大道である、とブッダは説くのである。これからもわかるとおり、仏教は決して何か”神秘的な”教えといったものではない。むしろ、あたりまえのことをあたりまえに行うことが仏教であるといわなければならない。

 ここに選んだことばも、いかに”いま”という瞬間を一生懸命に生きぬくのが大切かということを説いたことばである。こんなことも誰にもわかっていることばである。しかしブッダはここで、それを漠然とわかっているままにするのではなく、明確に意識して、心にも身体にもきざみつけ、向上心をもって一瞬一瞬を生きぬけ、といっているのである。

 わたしたちは、過去の行為や思いによって現在という時間を創り出し、現在の行為や思いによって未来という時間を創り出している。

 しかし、過去になしたことがらにしばられ、くよくよ考え思い煩ったり、みずからの行く末の不安に煩わされ、眼前の一瞬をなおざりにしているのが人の常である。

 今というこの一瞬、今日というこの一日を、ひたすらに、熱意をもって生きること、そんなあたりまえのことを確実にやりとげてゆくのが、仏の生き方である。

中村 元 「仏教のことば 生きる智慧」より