回向といっても、浄土真宗と他宗派では大きく考えが異なります。
他宗では回向といえば、追善回向を指します。
追善とは、追善供養のことで、生きている人が故人に対して、あの世の冥福を祈ること、とされています。
親鸞聖人はこれを自力回向であるとし、他力回向こそが正しい回向である、と説かれました。
浄土真宗の回向
真宗では、阿弥陀如来に救われて浄土に往生する往相回向と、浄土に生まれ、仏となって再びこの現世に還り人々を救う還相回向の二種があるとします。
往相回向も還相回向も他力の恵みです。
「正像末和讃」に次ぎのようにあります。
往相回向の大慈より
還相回向の大悲をう
如来の回向なかりせば
浄土の菩提はいかがせん
この二種の回向がなければ、浄土の悟りが、どうして開けようか、ということになります。
このように、真宗においては、回向とは阿弥陀如来の側からのことなのです。
真宗では功徳をもらうのは故人ではなく私たちの方なのです。
仏よりさし向けられた功徳、すなわち他力回向のなかにすべてがある、とするのです。
「浄土真宗 真宗を知る 辞典」より